子宮奇形の私が妊娠・出産するまで。

ハイリスク妊婦のリアルな体験談を告白します。

亡くなったおばあちゃん。

こんばんわ(*'ω'*)

 

じゅんぴです(*'ω'*)ノ

 

今日は久しぶり(ほんと?w)のビールの日💕

 

生きる活力ですw

エネルギーがみなぎってきますw

 

 

 

 

今日洗い物をしながらふと思い出したこと。

 

文字にしたくなったので

書こうと思います。

 

 

「祖母との思い出」

 

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ただ単に思い出したことを書くので

まとまりはないし何が言いたいのかはわからないけど

とにかく書き殴りますw

 

 

 

 

 

私は小さなころから

父方の祖父母と一緒に住んでいました。

 

 

祖父に先に旅立たれた祖母は

2年前にすい臓がんで亡くなりました。

 

私の母が亡くなって3か月後の出来事でした。

 

 

すい臓がんは気付きづらいとよく言われますが、

祖母もまさにそれで気付いた時には末期で

アッという間に亡くなりました。

 

 

自分が病気だと知ったら

落ち込んで病状が悪化してしまうだろうという親族の考えから

自分がすい臓がんというのは一切知らさずに。

 

 

87年の長い人生でした。

 

 

 

とにかく優しくていつも笑っていた祖母。

笑いのツボがとにかく浅くて

いつも顔をしわくちゃにして周りを明るくするように

笑っていました。

 

 

私が大人になっても笑ってはいけない場面で笑ってしまうのは

祖母の遺伝なんだろうなぁと思っていますw

 

 

割と裕福な幼少期を過ごしながら

戦争で貧困を知る。

 

その後イケメンで有名な祖父を女子たちの大争奪戦の末ゲットし

いろいろな苦労をしながら

子供を育てるため、生活をするために

休みなく働いてきた祖母。

 

辛いことがあっても

こんなの戦争時代の貧しさに比べたら余裕。とよく言っていたw

 

 

 

共働きだった両親の代わりに学校の終わった夕方に

私たちの面倒を見ていてくれた。

保育園のお迎えは祖母だったなぁ。

 

 

保育園、学校から帰ると毎日100円を渡され、

「お菓子かアイス買っておいで」

 

と言ってくれる。

 

 

今日は何を買おうかなぁと毎日の楽しみでした。

 

祖母と練炭のこたつにあたりながら

相撲を見てお菓子を食べるのがとにかく楽しかった。

 

次から次へと出してくれるおやつもどんどん食べた。

(これのせいで小学生ながらめっちゃ太ったw)

 

 

ゆっくり流れる幸せな時間だった。

 

 

そんなことをしているうちに

仕事が終わって母が帰ってくる。

 

母とともに二階へ上がる。

(我が家は1階が祖父母住居、2階が私たち家族住居で分けていた。

ご飯も別々。)

 

祖母は寂しそうに私を送り出す。

 

 

 

私の母は割と気が強い人で

祖母へのあたりきつかった。

 

当時はなんでそんなに強く言うんだろう、

祖母はそんなに悪い人じゃないのにと思っていましたが

きっと私にはわからない母なりの「何か」があったんだろうと思います。

 

母と祖母は所詮他人ですからね。

 

 

そんなに強く当たられても

祖母は母の悪口1つ言わず、

 

「ママが言うならそれが正解だね。

ママはよくやってくれてるよ、ママはさすがだね。」

 

といつも母をほめていた。

 

 

いまの自分が大人になって考えても

それって簡単にできることじゃないなと思う。

 

 

きっとストレスは溜まっていただろうし、

どうやって発散していたんだろうといまだに思っている。

 

 

でも全くそれを出さずに、

穏やかに過ごしていた祖母を尊敬するし、

少し同情もしてしまう。

 

自分の家なのに嫁である母にいつも気を遣って疲れていただろう。

 

 

 

唯一祖母の本音が聞こえたのは

母が亡くなった時。

 

 

「私はママにできる限り優しくした。

全く悪口も言わず、いやな姑ではなかったと思いたい。

今だから言えるけど、

孫のあなたたちにはそれを認めてほしい。」

 

 

きっと祖母の中には

いやな姑にはならないという決意があったのだろうと

この時に思った。

 

 

決意は凄くかたいし、メンタルが強い。

 

 

まじかっっこいい。

 

 

 

 

 

祖母との最後の思い出は

すい臓がんと分かり

最期を迎える病院に入院した時。

 

 

三度の飯より酒が好きだった私は

都内で朝まで飲んで泥酔したまま始発電車に乗って

超爆睡。(普段はしない

 

 

気付くとなぜか祖母の入院している病院の隣駅。

空気が澄んでいて

あーーー田舎に来たのかとすぐに気付く。

 

 

普段はめったにない方面への

直通の電車に乗っていて2時間近く寝ていたw

 

その千鳥足で数キロ歩いて祖母の病院へw

 

 

 

朝7時くらいだったのにも関わらず

なぜか病院の入り口は開いていて

べろんべろんのまま侵入。(今考えると大問題

 

 

こっそーーーーーーり祖母の部屋へ行き

相当驚かせたw

 

 

夢でも見ているかのようだと

喜んでくれた祖母。

 

なんだ酔っ払ってるのかと

ベットで一緒に寝るよう促す祖母wwww

 

 ありがたく一緒に寝る私www

 

巡回に来た看護師さんを

めちゃくちゃビビらせるw

 

そしてなぜか

 

ベッドで一緒に寝るなんてなんていい孫なんだ😭

とめっちゃ泣かせるw

 

 

そのせいか面会時間より前だったのに

看護師さんには怒られず・・・w

 

 

田舎の病院だったからゆるかったかな???

 

今考えると超破天荒だったけど

 

祖母が私を呼んだのかな?wとかも思う(え?w)

 

 

あとから父に怒られたけど

すごくいい思い出。

 

泥酔して病院に行き、面会時間より前に侵入なんていまじゃ出来ない

若かりし頃の行動w

 

 

 これが元気な祖母との最後のエビソード。

 

この後はだんだんと少しずつ寝る時間が増え、

話すことも少しボケっぽくなっていきました。

 

 

 

いつも笑っている活発で社交的な

優しい祖母が大好きだった。

 

 

 

ねぇ

おばあちゃん、

 

この人生はあなたにとってしあわせだった?

 

 

あと少し祖母孝行が出来てたらよかったなぁ

と死んでから思う。

 

 

自分で稼いだ給料で

もっといろいろ買ってあげたかった。

(なにもほしくないという祖母だった)

 

 

私は貴方のおかげで優しい心や

人を思いやる気持ちを学んだよ。

 

自分のことより常に他人の気持ちを考え、

少し損していたこともあったと思う。

 

一度決めたことを最後まで

貫くことの重要さを教えてくれてありがとう。

 

 

貴方のように立派には生きれてないけど

少しでも真似できるように頑張るね💪

 

 

私が結婚出来るか一番心配しててくれたけど

出来たよ!w

 

 まさかの子供まで産んだんだよΣ(・ω・ノ)ノ!

 

見守っていてくださいな。

 

 

 

 

姉が祖母の生前、

 

半分ジョーク、半分本気の

 

祖母の歌を作った。

 

その中に

 

「あなたの大きな 大きな愛

積もり積もって大きな山ができた。」

 

という歌詞があった。

 

 

大きな山は私たち孫のこと。

 

 

 祖母のお葬式で孫たちみんなでこの歌を歌った。

 

 

最初は歌詞に笑っていたみんなも最後は泣きながら歌った。

 

 

 

 

 

すごいまとまりがないけど

 

さーーーーーっと思い出した祖母のこと。

 

 

 

酔うといろいろ思い出す。

 

 

 

 

書いて少しすっきり。

 

今もこんな酔っ払いの私を空から見ていてくれているだろうね。

 

 

 

 

 

じゅんぴ。